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2018年5月19日(土) 飲みながら

●雨が予定より早く上がり、家周りの雑草除去等を汗をかきながら。この時期に一回やっておくと夏場が楽になるんだなぁ。
●お昼は久々に、近所の「来来亭」へ。チャーシュー麺は初めて食べた。
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□そして、止めとけばいいのに、炒飯まで食べてしまう。
●硝安液肥おくひかり。何というか、味の作り、構成が、硫安液肥と異なる。より、おくひかり、らしい、という表現になるのか。今年がたまたまなのか、やはり、処理における影響性が異なるのか。どちらも、自分で揉んでいるので、揉んでいる際の違いも感じていたのだが、飲んで違うというのも。ただ、その根本要因が解析できていないという問題。
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□元々は、おくひかり、の味を何とかしようと始めた液肥処理ではあったのだが、その過程で、おくひかり、らしさを喪失していく感もあり、その点が問題だとは思っていたのだけど。処理資材の問題でそこが解決できるなら、それはそれで手法であるのだが。とはいえ、結局は、出口として、つくったお茶をどういう形で売るか、という点で。おくひかりが、おくひかりとして扱わられない場面であるなら、どうとでもしていい問題で。
●味の位置の違い(抽出による時間差)。味の質の違い(鋭さ、うま味の質)。色々と感じのだけど、単に美味しい、不味いでは言えば、美味しいので。それでいいか、とも思ってしまういい加減な私。そして、この硫安液肥おくひかり、やっぱり、硝安とは異なる。
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●毎年、お茶づくりの季節が終わってから、あーしとけば、こーしとけば、という思いがツラツラと出てくるのだが、いつもお茶と向き合えていたらと思う。
●昨日、知り合いの茶農家さんから「大病を患って、本当に死と向かい合っている昨今、今年のお茶は、自分でも今までと違う体でつくれたし、取引先からも、格のあるお茶、だと言われた」というような話を聞いた。それを聞いて、自分はまだまだ甘いんだ、と思う次第。どこまで、真剣にお茶と向き合えるのか。一生の話である。
●今年の液肥ブレンドを飲んで感じるのは、やはり、やさしく揉む大切さ。それは、茶師の腕の問題ではなく、製茶機械の問題である事は明らかなのだが。ただ、やはり、製造は機械を使いこなし、その上で、自分がイメージするお茶へ誘導していかなくてはいけないと思う。そんな意味で、イメージ化のレベルの問題なのか。
●舌はますます贅沢になる。自分を満足させてくれる、舌で味わい分析をしないで済むような、ただただ感動するようなお茶にいつか出会えるのだろうか。もちろん、舌だけではなく、視覚、嗅覚、触感、全てにおいて、だが。お茶って、深く、そして果てしない。
[ 2018/05/19 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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