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2016年11月30日(水) 11月終了。迷走する思い。

●今日で11月もおしまいです。早いなぁ、と。
●今日は、思った以上にスムーズに仕事の時間が流れました。ただ、内容的ボリューム消化量は少ないのですが。また、この後の反動が怖い。
●先日の川根天空訪問時に色々と話をさせて頂き、結局は、お茶の本質をどう明確に現わしていくのか、その本質とは何なのか、というような事をグルグルと考えてしまう訳です。
●例えば、このお茶を飲んだ時感じる部分、うま味、甘味、そしてトロミ感。一方で、落ち着いた味。鮮烈さ、強さ、激しさ、とは違う部位に立つ感じ方。それは、茶樹の樹齢であったり、蒸しの落とし所、ポイントであったり、それは、お茶の本質に対して、マスキングなのか、カバーなのか、それとも、本質そのものか。研ぎ澄まし、より、芯に、本質に近づけるような、そんな理解をしたい。
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□最高のお茶である中で、良い悪いではなく、嗜好に訴える味わい。それを説明できる形、というのが必要な事だと思う。そして、自分がこの茶芽を与えられて、揉んでいたとしたら、どこを目指すのか。どこを狙うのか。まさに、もう一つ勝負に出たギリギリに行けたかも、という妄想に囚われてしまう。技術者の性であるとともに、これも又妄想である。
●引き算のお茶づくり、足し算のお茶づくり、それは、素、本質をつくる地の利、それを理解しての、技術的付加、という方向性もある。削ぎ落して削ぎ落して、そして、本質を見る、そんな事をしたい。
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□例えば、このようにお茶を揉む過程で感じるお茶そのものの感覚。それを自分の中で明確に、このお茶とは、という答え探しにつながっている、という事なのだ。そこに本質を覆うモノ、あるいは本質が見え過ぎる事で、目指すべきお茶に足りないモノ、そんな事をお茶を揉むという行為で理解する事ができる。ただ、それを明確に、言葉として、共通性を持って、このお茶を飲む人に伝えられるか、という事に対しては、?、である。だからこそ、そこをやらなくてはいけない、という事なのだろう。
●思いは迷走し、そして、より理論、理屈ではなく、感覚へ走っていく。ただ、その感覚こそ、本物を知る最短手段なのだろう、と思う。ただ、そこで済ませてしまってはいけない、というのが自身のポジションなんだ、という事なんだろう。追求しなくてはいけない。感覚の明確化に向けて。
●明日は、そんな話をする打合せが午前中に、午後は輸出茶セミナーがグランシップで。
●偶の一冊。江原一哲[著]『怪談実話-五千四十の死-』【2012年,㈱メディアファクトリー,\619+税】。BOで\108購入。実話怪談、たまに見つける新しい作者。悪くないが、・・・、という事か。
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[ 2016/11/30 ] 一般 | TB(0) | CM(0)

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