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2015年12月6日(日) 何もしたくない休み、思いのみ夢へ馳せて

●久々に気持ちをallで緩めていい休み。何もしないぞ。
●昨日のシンポジウム、はっきり言ってしまえば、個人的には義理の部分と「山のお茶」というキーワードのみに対する(引っ)掛かりでの参加で、内容的にも、講演者のレベルを考えれば、絞り込んでのもっと深い話への移行の方が絶対にいいとは思いましたが、あくまで、開催されている会のための内向きが主のものであったという認識もあり、あのような情報羅列は受け手側の咀嚼だな、と思っていましたが、何名かの知り合いの若い方々は、かなり熱く(キツク)、シンポそのものの外部発信への在り方と立ち位置についてFB等で意見を出されていて、強くそう感じてくれるありがたさに申し訳ないなぁ、と思いました。
●そのような若い方々は、澱んだ茶業界の混沌の中で、それに汚れる事なく、今までにない新たなスタイルや全く異なる業種との連携、発信等、従来とは被る事もない一線を引いた活動ができるのだろう、と感じています。
●一方で、そんな動きの波へ提案できる事を自身として持っていると今後の展開の中でも面白い事が見て行けるんだろう、と。そんな意味での伝達やつなぎになれればいいんだろうなぁ、と。そんな事を真面目に、ちょっと思いました。
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□昨日の展示関係。
●とはいえ、思うのは自明の理、である技術的な点での、業界に流布するいい加減な思い込み、を個人的には、分かろうとしない人に理解してもらいたいとは全く思ってはいないのですが、自分自身が確証を得たいとは思っています。そんな意味で、施肥、そして製造、まだまだ確認検証する事はあり、その先に、おそらく、自分が描く新しいお茶、が形を成して出来上がってくるんだろうな、と夢見ていますが。
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□この先にある形(外観の意味合いだけ出ない、お茶そのもの)を夢見ています。このお茶でさえ、ハサミ摘みでこの位。まだまだ楽しめるでしょう。
●来年の一番茶で、やってみたい、つくってみたいお茶への試行方法やイメージ、やり方、その製造だけでない、栽培管理処理への仕掛け、365日、そんな事ばかり思っていますが、多分、今の茶業に携わっている人で、そんな事を考えるのは本当に稀なバカな人しかいないんだろうな、と感じています。何度何を言っても伝わらないし、やる気になる人はほぼ皆無。いいお茶ができない、と言いながらそれを変えるつもりは全くないんだな、と肌で感じ続けて。そんな意味では、やったもん勝ちだし、それで次へつながる結果を出せばいいだけなんですが。それを既存のカテゴリーへ伝達しても全く意味をなさないのは繰り返しの自明なので、それらは従来ルートでない形で外部への発信で対応したい、と思っています。
●揉んで揉んで、お茶の素、そのモノを伝えられる形にしたいな。その結果として出来上がる細さを否定する意見をよく見かけるのですが、あーお茶揉んだ事のない人のモノ言いだ、と思っています。だから芯残りのお茶のボケた感をバカみたいな火入れで誤魔化すんだなぁ、と。一方で火入れが必要なお茶、というものは何か?というその視点からのお茶の製造を考える必要もあるかと思っていますが。結局お互いに、その程度、のモノしかつくって来なかった、という事なんだろうなぁ。とはいえ、製造、まだまだよく分かっておりません。それを分かった思った時点でダメでしょう。
●N村さんとの統計飲み会の場面でも、研究で今やりたい事って何?て聞いたら、今はない、と答えた奴がいてさ、という話があって。やりたい事ないのなら、試験場なんかにいないで欲しいと心から思います。給料高いし、自由度高いし、居心地イイのかもしれないけど。結果を残せ、なんて事はいいませんから(その結果が分からない様な事を追求してもらいたいのだから、それが結局、結果につながらなくてもいいです)、せめて、最低でも自分が面白いと思って、その解明をしたいというテーマをもって、時間なんか気にせず死に物狂いで探求してもらいたいな。それでこそ研究に携わる意味が出てくるんじゃないのかなぁ。試験場にいる時に土日に出勤して、データ分析したり、圃場調査している時に必ず来ている方々がいて。あー、この人達は「研究したいんだ。知りたいんだ」と思っていました。そうであってもらいたい。とはいえ、人に期待はしないようにしています。だから言わない。
●昨日の資料の中の有馬先生のお話(文章)で、「茶の芽は肥えているいるのが良いと言われるが、肥料で肥えたものは味が薄いので、茶樹本来(無肥料)の養分でできた茶でなければならない」という言葉があり、それに重みと怖さを感じています。肥料をやらない中で、お茶から余計なモノ(ある意味でのうま味)が削ぎ落され、お茶そのものを感じる形になった時、そこに出るのは、お茶の育った土壌、気象という環境、土地そのものとなります。それでこそ、産地や品種というお茶そのものが伝わる、という意味合いだと思うし、その通りであるのですが(今年の関わったお茶の中で、これに近い、土地語りのお茶を拝見する機会があり、あー、土壌が語っている、とシミジミ思いました。ただそのお茶は、油臭、という評価を受けていたので、それ違うんじゃない?と拝見確認した結果から、そのような結論に至ったのですが。お茶の芯味、茶樹の味、そこに土壌が反映されている、そんな感じでした)。この怖さは、明確にお茶が土地を語ってしまう事で、だからこそ、一方で技術として創り上げる味、という形もあるのかとも思っています。勿論、土地が足りの良さを邪魔しない形で。とはいえ、A41枚の文章ですが、これほど面白い読み物はなく、そんな意味で、私にとっては、昨日のシンポジウムに出席した価値十分でした。
●大石貞夫先生の語りは、著作集としてまとまって発刊されていて、それのエッセイ部分は興味深く、実際の現場への反映として捉えさせて頂いているのですが、有馬先生のこのような文章も目に触れる機会を頂けるとありがたいなぁ、と思っている次第、であります。
●今日の一冊。福澤徹三[著]『侠飯②』【2015年,㈱文藝春秋,\670+税】。先日、購入して面白かった①。吞み会前に本屋へ寄ったら、②が出ていた。楽しみたい。
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[ 2015/12/06 ] 食・酒 | TB(0) | CM(0)